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キレイのキックオフは誰でもできる!30代肌オチ期を克服した美容家・小林ひろ美に聞く

2018/01/15

1998年より美・ファイン研究所を主宰する、美容家の小林ひろ美さん。雑誌やテレビを中心に自宅でできるラクチンビューティー術を提案するほか、企業の商品開発コンサルタントに参画されるなど多方面で活躍されています。

そんな小林さんは、内側から発光するような美白美肌の持ち主!
ですが、30代には相当な“肌落ち”期を経験したそうです。

今回は小林さんに、ご自身の肌歴から美容家になるまでの道のり、スキンケアのポイントや、内面から美しくなる秘訣までを伺ってきましたよ。3回にわけてお届けします。


―まずは、小林さんの肌歴から伺っていきたいと思います。

小林さん : 私は母(小林照子さん)が美容家なので、小さい時から乳液をつけなさい、リップクリームをつけなさいという環境で育ちました。3歳くらいからスキンケアをしていて、ほかのご家庭もきっとそうなんだろうと思って18歳くらいまで過ごしたんですね。

―はたから見ると、とてもうらやましい環境でお育ちになったのだなと感じます…!

小林さん : 自然に、どんなことがあってもスキンケアするというのは母から教えてもらった部分があると思います。ただ、10代の途中から32歳頃までは、そういった母の言葉がわずらわしくなってしまった時期がありました。

―幼少期からお肌の英才教育を受けていたからこそ、ですよね。

小林さん : 母からの「とにかく面(お肌)よ。点(目鼻立ち)より面の方が、後半になったら絶対に得をする」というアドバイスも耳に入らず、18から32歳頃までは、スキンケアは3番手4番手になっていましたね。それよりも目を大きく見せたい、華やかな顔になりたいというふうに、パーツに意識がいきがちでした。肌グレをしたと言いますか、肌の反抗期に突入してしまったんです。

―確かに書籍を拝見しても、20代などはかなり焼いていたようですね・・!

小林さん : 母の目から逃れるように、フロリダに留学したり、ブラジルに住んだりしました。夏もハワイも大好きで、世相も日焼けを求める空気の中で、32歳までずっと日焼けと青春を謳歌していましたね(苦笑)。


―かなり肌にとっては過酷なことをされていたと。

小林さん : (スキンケアの)英才教育を受けていながら、肌を老化させる大きな要因である“光老化”を自ら招いてしまって。32歳の時、一気にトラブルが噴き出して、ものすごいシミとシワ、そしてたるみが襲ってきたんです。

―それは、何か気がつくきっかけがあったのでしょうか?

小林さん : 32歳の秋なんですけれど、子供の運動会のビデオをママ友が撮ってくれて、それを見がてらご飯を食べようということになったんですね。私の横顔が写って、すごくシミだらけで…。「これ、私?」って聞いたら「そうだよ~」って。私は自分の顔を正面からしか見ていなかったんですが、頬の横にがーっとすごいシミがあったんですね。

―突然それに気がつくと、やはりショックですよね。

小林さん : 母の助言をずっと破ってのことだったので、母にも相談できませんでした。「ああ、なんかどうしよう」と思って、エステに通い始めて。けれど、あっという間にチケットを使い終わって何もなくなった時に、再びどうしようと思って。
それならば、自分の家で簡単にできる、お金も時間もかからないことからまずやってみようと思いなおして、“自分レボリューション”みたいなイメージで自宅でもできる美容をスタートさせていきました。

―スプーンを使った美容法なども、その一環ですね。

小林さん : スプーンはカーブもしっかりしていますし、温冷の切り替えがしやすく、熱の伝導率も高い。“マッサージもできるな”なんて思ってやり始めたら、だんだんと自分のシミが薄くなっていき、最終的には(シミが)分裂していったんですよ。
トラブルが噴出してから半年後ほどのことでしたが、その時に、まだまだ叩けば飛ぶと言いますか、ケアができるんだなと実感して、勇気が出ましたね。


―確かに、今ではシミがたくさんできていたとは思えないようなお肌をお持ちですよね。そこからどのようにして、小林さんは美容家になられていったのでしょうか?

小林さん : ブラジルから帰ってきた後は輸入の仕事などをやっていましたが、26歳の時に母が独立するということで、一緒に会社を興すことになりました。
私は母の補佐という感じで自分が美容家になるとは全く思っていませんでしたが、母をサポートするために、香水、アロマ、スキンケアや顔回りのおしゃれといった勉強はしていましたね。ただ、“母は大先生でみんなから尊敬されているけれど、私はそういうのは無縁”と思って、後ろ向きな気持ちを当時は持っていましたね。

―まだ、ご自身の道を見つけられる前だったのですね。

小林さん : ありがたいことにそれから数年後に「本を出しませんか」というお誘いや、「学校で教えませんか」というお誘いを立て続けにいただいたんです。そうやってお母さんについていろいろ経験されているのだから、伝えられることもあるでしょうと。無理だったらすぐにやめればいいから飛び込んでみなさいとも後押しもいただいたんですけれど、私はそれを全部を断ってしまって。自分に自信がなくて、断ってしまったことにも後悔して、負のスパイラルに陥ってしまいました。

―そういった時期だと、踏ん切りがつかずにつらいですよね。

小林さん : はい、その通りですね。でも、ちょうどそんなこんなしている頃に、大学の友人たちと6人くらいで温泉に行くことになりました。旅館に泊まってみんなでメークを落としたりしたんですが、みんな、とんでもない手つきだったんですよ(苦笑)。
それは順番が逆だとか、そうやると顔がたるむといったことを私が話をしていたら、「もっとそういうことをきちんと教えてほしかった」と友人達から一斉にリアクションが返ってきたので、本当に驚きました!

「ひろ美ちゃんはお母さんが美容の方だから自然にそういう知識が身についているけれど、それって特別なこと。むしろそういうことを一般の人に教えてよ」と言われた時に、ホロホロ、目からうろこが落ちました。

―目が覚めた感じだったのですね。

小林さん : 私には全然大した財産はないと思っていたけれど、小さい頃から母に手取り足取り教えてもらったことや、自分が失敗を繰り返して一念発起してケアしたことを人様にお話することで、人様のお役に立てるのかもしれないと思った時に、気持ちのスイッチが入れ替わりました。
社会に貢献できるポジションが分かった気がすると感じて。そこから“ラクチンビューティー”をイメージしながら、夢中でひも解いていきましたね。

―小林さんは自宅でできる美容法をいろいろと試されて今の美肌までたどり着いたということで、多くの女性もそんな小林さんにこそついていきたくなるのかなと感じます。

小林さん : 私の場合は“自分は本当にだめだ”と刷り込んでいたところから、ちょっとずつ確実に心も肌も社会性も上向きになっていき、ニコニコサイクルができていきました。キレイのきっかけはどこにでもあって自分をアクセプトしてあげる時に初めて、その人の魅力に火が灯ると思うんです。自分というものを変に美化したり落としたりすることなく、受け入れていってほしいなと思います。

―受け入れることができて初めて、本当のキレイをつくっていくことができそうです。

小林さん : 後半の自分は“自分クリエイト”だから、もっと意欲も湧くはず。30代後半では“点(目鼻立ち)から面(お肌)の時代”になっていきますが、10代・20代の女性もその時から“面”を意識することで、後半に向かって、より目指したい自分をデザインすることが出来ますね。


次回は1月22日(月)に公開予定。スキンケアにおける3つのポイントなどを中心にお話しいただきます。楽しみにしていてくださいね。



小林 ひろ美

美・ファイン研究所主宰 / リバイタライズサロン「クリーム」ディレクター

大学卒業、米国留学の後、語学力と国際的センスを生かした翻訳や輸入業に携わる。
1991年、母・照子とともに(株)美・ファイン研究所を設立。
1998年リバイタライズサロン「クリーム」をオープン。心とからだのバランスを調整し、活力を取り戻すトータルビューティサロンとして、一般女性から女優、政治家へもリラクゼーションを提供する。
トータルな視点から心地よいライフスタイルを提案。
特に納得の理論と簡単で効果的な美容法は多くの女性の支持を集め、テレビや雑誌を中心に活躍中。
企業の商品開発にもコンサルタントとして参加するなど、幅広く活動。

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